昭和末期バブルの時代に作られた郊外型ニュータウン茨木台
今日用事があって茨木市の北部の見山の郷に行ってきました。
ポケモンgoが人気のこの時代。みんなスマホもって町中を走り回っている子ばっかりかと思ったら、ちゃんと網を持っている川で遊ぶ少年を見てほっとしました。
茨木市の真ん中(市役所あたり)から30分走ったらこの自然豊かな見山地区に来ることができるのですが、途中には神戸で橋げたが落下した事件があり、工事が止まっている第二名神の茨木での工事カ所があり、周りの風景を一変させました。(知り合いの家もこの工事で水がでなくなったそうです)
その見山の郷よりもさらに北の茨木市の青少年野外活動センター近くに実は住宅地がある場所があります。
私は小学校時代茨木市に住んでいたので、この銭原の野外活動センターへは夏休みにキャンプに来たことがあります。夏休み小学生の初めてのお泊りで行った銭原のキャンプ場。とても遠くに感じ山奥なので夜怖くてなかなか寝れませんでした。
しかし、日が明けて次の日に周りを散策しにいってみたのはなんと山奥であるキャンプ場近くにあるニュータウンをみつけました。その瞬間怖がっていた自分が恥ずかしくなったのと、なんで山奥の自然が豊かなキャンプ場のすぐ近くに、今こんなに家を建てているのだろうとその当時小学生だった私はもちろん知る由がありません。
そんな昔の記憶が見山の郷に行った時に蘇り、当時の記憶を頼りに銭原のキャンプ場行くまで行ってみることにしました。そしてこの看板が
さらに奥に進むと銭原の「茨木市青少年野外活動センター」にぶち当たるのですが、ありました。これが亀岡市見立(茨木台)への入り口です。
入口はわざと狭くなっていて、ハイエースがなんとかギリギリの道。横幅の広いハマーでは通れないでしょう。
そして走ること数分。見えてきました。
「茨木市青少年野外活動センター」からのルートは横幅が狭くすべての車幅の車が通ることができませんが、他のサイトでもこちらからのアプローチが多いようです。こちらからニュータウンに入ると入口にはコンビニエンスストアー高田屋さんが見えてきます。
この高田屋さんは現在ここでの営業をやめて豊能郡切畑でしらことうふが有名な高田屋のとうふ屋さんを営業しておられます。
そしてテレビで紹介されて有名になった?引っ越して来るにはまず開栓料がかかると言う看板です。
この画像を見るとここが標高500m位とは思えないですね。ちなみに標高500mとは長野県松本市と同じ高さです。
この景色だけ見るとニュータウンですが、山の中の1区画に住宅街があります。地図で見ればわかりますが、このような斜面に同じようなニュータウンがいくつかあります。しかもどれも大阪府と京都府の府境にあります。
大阪府でなく、京都府に住宅があるのは、茨木市側は市街化調整区域にあるためにそうでない京都府に入ってすぐの所の斜面の場所を開発して、安く売ったようです。
この山間部の住宅地は昭和末期には持ち家が欲しい若者世帯に需要があり、この見立区も200世帯を超えたようですが、バブル崩壊後はここを開発した業者も倒産し、一時期生活道路が差し押さえられると言う事態に陥ります。
その後
水道管の老朽化などにより自治会は自費で井戸を掘り水を確保。そして茨木市教育員会から銭原側のポールとコンクリートブロックの車止め問題がTVで放送されて話題になるなどいろいろあったようです。そのあたりは自治会のホームページがあるのでそちらをご覧ください。
そして帰りは反対側に向かいました。奥に新たな開発が、右手前は鎌倉台
ここの丁字路に出て四つ葉の配送センター抜けて東別院町栢原にでました。
昭和末期ドラマでも三上博史と田中美佐子で「それでも家を買いました」と言う当時の時代を反映したドラマがありました。今スタッフを見ると渡辺いっけいや高島礼子も出てるんですね。
それくらい日本では戸建てを買うことが自立と言う風潮がありました。平成も25年過ぎれば、中心部以外の土地は下落しコンパクトシティーなど言われる時代になりました。
大阪と京都の境では他に、能勢と亀岡の広畑地域や兵庫の川西市・猪名川町、神戸市北区、東の方では三重の名張方面など通勤に時間がかかる場所にたくさん新興住宅地ができました。それらの住宅地は今後どうなっていくのでしょうか。
そういう意味ではこの亀岡市見立にある茨木台が参考になるかもしれませんね。
亀岡市見立地域(茨木台)
住所:京都府亀岡市東別院町鎌倉見立
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